
「安定」って、窮屈?それとも、心地いい場所?
- 成長
- 2025年6月26日
ねえ、あなたもこんな風に感じること、ありませんか?
30代になって、仕事や家庭もそれなりに落ち着いて。若い頃に思い描いた「安定」を手に入れたはずなのに、なんだか心がザワザワする……。何かに追われるように毎日が過ぎていって、一見うまくいっているようで、実は心の中のバランスが少し崩れているような、そんな感覚。
最近、松浦弥太郎さんの「おいしいおにぎりが作れるならば。」(Amazon:https://amzn.to/3Gh3Oek)。彼がこの感覚を表現した言葉が、すごく的確なんです。彼の言葉を借りるなら、まさに「ゆるんだ褌(ふんどし)のような」感じ。なんだか、しっくりこないんですよね。
これ、決して贅沢な悩みなんかじゃなくて、私たちの世代に共通する感覚なんじゃないかな。最近、彼の本を読んで「なるほどな」と思うことがたくさんあったので、少しシェアさせてください。人生の浮き沈みについて、きっと何かヒントが見つかると思うんです。
調子がいいときこそ、ちょっとブレーキを。なぜ「八勝七敗」がちょうどいいのか?
物事がうまくいくと、僕たち、ついアクセル全開にしたくなりますよね?「今がチャンスだ!」って。
でも、松浦さんはここで、ちょっと直感に反する「八勝七敗」という考え方を教えてくれます。15回戦の勝負なら、8勝7敗くらいがベストな状態だ、と。正直、これにはハッとさせられました。僕らは「やるからには一番を目指せ」って育てられてきたじゃないですか。
彼が挙げる例え話が、すごく分かりやすいんです。「人は順境にある時間が長ければ長いほど、その反動も大きくなる。それは、強く押さえつけたバネが高く跳ね上がるのと同じだ」って。
つまり、勝ちすぎたり、簡単に勝ち続けたりするのって、実は結構危ないんだよ、と彼は教えてくれている気がします。そういう時って、僕ら傲慢になったり、油断したりしがちだから。いざという時に、その反動でポキッと折れてしまうかもしれない。だから、あえて少しだけ「勝ち」を手放して、人生に余白を残しておく。その「ちょうどよさ」が、きっと私たちを遠くまで運んでくれるんですね。
うまくいかないときは、宝物探し。「失敗」は、ただの経験値。
順調なときの話の次は、うまくいかないときの話。「失敗」って聞くと、やっぱり「恥ずかしい」って思っちゃいますよね。できれば隠して、なかったことにしたい。
でも、松浦さんの「失敗ノート」っていう習慣、すごくいいなと思ったんです。彼は、失敗は恥ずかしいことじゃない、むしろ成功している人ほどたくさん失敗しているんだ、と言います。
これ、すごく勇気をもらえませんか?特にSNSを開けば、みんなキラキラした投稿ばかり。そんな中で自分の失敗を認めるのって、結構勇気がいりますよね。
彼が紹介していた、ロビンソン・クルーソーの「善悪対照勘定書」の話も面白かった。最悪の状況で、「悪いこと(孤独だ)」と書く一方で、「良いこと(でも、生きている)」も書き出す。そうすると、感謝できることが意外と多いことに気づける、というもの。
失敗に落ち込むんじゃなくて、それを次のための「経験値」として捉える。そう考えれば、失敗もなんだか悪くないなって思えてきませんか。
人生のゴールは、自分だけの「いい景色」を作ること。
じゃあ、結局のところ、僕たちは何のために毎日を頑張っているんでしょう。
この問いに対して、松浦さんの答えはとても温かいものでした。それは、自分だけの「美しい景色」を作ること。それは決してお金や成功のことじゃなくて、心から「豊かだな」と感じられる瞬間のことです。
例えば、「時間、空気、自然、生命、そして感情が一体となった」感覚。丁寧に淹れたコーヒーの香りだったり、家族や友人との何気ないおしゃべりの時間だったり。
この「景色」を作るために、彼が言う「仕事(かせぎ)」と「務め」の区別が、僕はすごく腑に落ちました。「仕事(かせぎ)」はお金のため。「務め」は家事や育児、健康管理みたいな、生活を支えるお金にならないこと。この両方を同じくらい大切にすることで、人生はぐっと豊かになる、と。
本を読むときの「望遠鏡(電子書籍で広く世界を知る)」と「虫眼鏡(紙の本で深く考える)」の比喩も、まさにそう。広い視野と、自分の心を深く見つめる視点、両方が必要なんですね。
結び:まずは、「おいしいおむすび」を握ることから。
彼の哲学の原点ってたぶん、お母さんから教わったこの言葉なんだろうな、と思います。
「おいしいおむすびさえ作れれば、この先どんな困難があっても生きていける」
本当に私たちを支えてくれるのって、立派な理論じゃなくて、日常の些細なことを、心を込めて楽しめる力なのかもしれません。
さて、あなたの「いい景色」には、今日、何を加えてみますか? まずは一杯のお茶をていねいに淹れること、家族のためにおむすびを握ること。そんなことからで、いいのかもしれませんね。